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2期BDは未開封のままだったんですが、とりあえずCD読み込みしまして、その間じゅう2期3巻のデジタルジャケット眺めてました。JNTHED氏の描くエアリアル改修型、見ても見ても飽きないですね。
キャラもメカも今や恐らくアニメーターさんなのかいろんな人が書いたものが存在しますけど、やっぱりそれぞれなんか違うんですよね。何が違うのか明確には答えられないけれど何かが違う。先日のコラボショップだかの3層アクスタもコンセプトは良いんですけど、キャラクターもMSもなんか違うよなあコレとなって食指が動かなかった。
しかし改修型、今となっては彗星主人公機の中で一番好きかもしれません。初登場時はオーソドックス寄りに戻った感じがどーなんだコレ、嫌いでは無いけどどう振れるか見当がつかない、という感覚だった覚えがありますけど見事に落ちました。
これは筆者の傾向として自覚するんですが、後から全容が見えた頃にかなり入れ込んでいる対象って、第一印象が必ずしも良くないんですよ。負の印象という訳ではないが結構引っ掛かりが多くて、一体どうなんだコレは?と思っている事が多い。その正負に振れないものを抱え続けたままキャラやストーリーを追っていって、ようやく納得する流れ。
つくづく一目惚れはしない、出来ないタチだな。2次元最高。
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ver.Ka、サザビー欲しいな。初代でも良い。
Zは変形機構がスゴイらしいので少し興味がある。。
でも最近のガンプラって、パズルみたいなんですよね。技術的進歩には敬意を払いたいのですが、プラモデルの楽しさみたいなものは削ぎ落とされていくような気が……しなくもありません。
スキルの無い誰でもが同じものを作れるというのは凄いことです。が、それなら完成品で良いかなと最近思います。なぜプラモを買うのか?
スナップフィットと色分けの精度が上がることは即ち分解難易度が上がるということでもあって、それも手を出しづらさの一因かもしれません。
プラモって、完成に至る前の段階では付けたり外したり無数にするもんじゃないですか。組むのは容易いけれど、「プラモ」として遊ぶためにはハードルがある、そんな印象です。
ユーザー間で段落ちが流行った(?)からなのか、設定画に無い段落ちをデフォで付けることまでするようになったしね。個人的嗜好としてあの手の段落ちは嫌いなんですよ。
まあ、MG、PG、メガサイズに期待かな?でも置くところが(ry
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本棚を壁に埋め込みたいなと。
いや物理的に構造どうこういう話ではない。ただそれを望んだ時に読みたい本とそれに類する本の並んだ棚がふっと見やすい位置に浮かび、後はスッと壁に消えるような風にどうにかならないか。どんな形式の本も整然と安寧に保管される空間が……
本の量>本棚のキャパシティであったからして、そんな漠然とした夢物語の一種を割と強く思ってました。
最近はその方面を些か忘れてもいたのですけれど、この1年余りで手持ちのロボットフィギュアが……滅法増えまして。箱も何もなるべく捨てたくない性分なもので二進も三進も行かなくなってきました。ガンダム・エアリアルの立体物出すぎだろ
せめてコレクションケースをと検討する事を検討し始めたわけですが、それをどこに置くんだと。それにショーケースに入れたら遊びづらくも見づらくもなるんじゃないか?場所を取らず安全に確実に保管され、それでいて特定の位置にいる時は常に周りを取り囲んでいて、今欲しい個体をいつでもすぐ手にできたら良いのに。
それで本棚の件を思い出しました。更に言えば、同様の願望を異なる対象に再度同じように抱いた事で、その望みの強さを再認識したわけです。
本の場合、現実は筆者の望みを実現する方向には行きませんでした。敢えて言うなら電子書籍は別の形でこの望みをかなりの精度で叶えていると言えますが、電子書籍嫌いなんですよね。目は滑るしページ戻りもしづらい、手に感じるページの重みも厚さも無くてダメです。
筆者は延々走るだけが目的のランニングの類が大嫌いでした。176/352なんて数字を見ながらページをタップで捲り続けるなど、ランニングの如き虚無行動ですよ。
で、フィギュアですよ。Digi-Figなるアプリができたのです。まさに電子フィギュアです。ただダウンロードするだけでポージング撮影云々ができるらしい。なんたる虚無か!
該当アプリはダウンロードして一旦開いてみたものの、全く触る気にならずそのままでした。コレ何が楽しいの?
クオリティはこれから凄いスピードで恐ろしいほど上がるのでしょう。既にガンプラスキャンなんてものもあるらしいので、"自分の“玩具をスマホの中に持つ事も出来るようになるのでしょうね。
で、どうすんの?本当にコレがわからない……。
受容器からの情報を処理するのは結局全て脳なのだから集約してしまえというのは実につまらない。合金フィギュアの重みに満足したいし、感圧式スイッチに驚いていたい。
言葉と絵と数式は、抽象に具体の形を取らせまた他者の中に再び抽象を存在させるという、その本質的な目的からすると同質なものと思いますが、絵だはやはり些か異質です。絵を立体化させたフィギュアというのは非常に具体的な物体でありながら、そんな抽象性も抱えたままの、実に面白い存在だと思います。
ロボット魂ガンダム・エアリアル(改修型)の交換部品とやらは一体いつ届くのでしょうか。
側頭部アンテナを左右逆につけたばっかりに全ての購入者に代替頭部を送る羽目になり、可哀想だなとは全く思いません。あのメーカーの現場作業の質を物語っています。検品の段階で全てを確認するなんて無理でしょうから、個々の作業員の中にある基準を上げないことには始まらない。何にぶつけたのか抉れ傷のできた個体を、接着剤のついた手で触ってしまったばかりに指紋型の糊跡がついた個体を、次の工程に回すような意識じゃダメなんです。
送られてくるのって頭部だけだよね?少々気になっているのは、説明書で取り外しを謳った箇所以外を外した場合は保証外という大元の姿勢でして。頭部交換の想定された機体ではありませんから……。
何も解決しない文章だ……。
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書くことが……無い。
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定期的に凝縮される感情を言い表すと
「生きるのってめんどくさい」
「早く人間をやめたい」
「代替可能パーツ集合による身体を手に入れたい」
あたりになりますね。早く人間滅ばないかな〜
何かをすれば何かが起きるのが本当に面倒くさい。最近は絵も模型もやっていない。それが良くないかも。
ウロウロと彷徨うだけが不安定な安寧で、結局それで良しとすればそれはそれで良いのでしょう。
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ロボット魂の特殊スリーブ、プラ製にして欲しかったな……外すのに腐心した。ブリスターを見て満足して戻したので、次もまた慎重に外す必要があります……。
グエルの求婚シーン、ソッコーでエアリアルに戻り飛び去っていくスレッタの後ろ姿からして面白ギャグシーンに見えるんですが、その実"自らを認めてくれる人と人生を共にしたいという心理"のサンプルだったんだと。
ミオリネがスレッタを選んだ理由って、特定イベントで明示されるような事は無かったわけですけど、結局コレだよなと。スレッタも元の"家族“の中では他者のレプリカとして認識されていたわけで、個としてアイデンティティをみとめてくれたのがミオリネなんですよね。彼女の行動や訴えによって"家族“=エリクトとプロスペラもスレッタを個としてみとめる結末を迎えたわけで、どの段階でも"家族“に負の感情を抱かなかったスレッタを考えるにもの凄いハッピーエンドだ。。
じゃあ最初のサンプルは?って事ですが、グエルはスレッタを自分を認めてくれる他者Aとしてしか見ていない。だからスレッタの話は最後まで聞かずにいなくなるし、本人から自分の問題だから口を出すなと言われても我を通しに行っちゃうんですよ。少なくとも1期までの彼にとって他者Aがスレッタである必要性は無いんですよね。Aはどこまでも彼の内にあるものなので。
彼にとって面白くなりそうだったのはラウダという存在だったわけですが、彼はねぇ……。
シュバルゼッテを駆って、初めて本心を語るというシーンは良かったんですが、ペトラエンドはもうちょっとどうにかならんかったかなと。3年の間に色々あったといえばそれまでかもしれないが、グエルへの訴えの根幹は「自分にも頼って欲しい」だったはずで、その面での進展がゼロじゃどうにも繋がりが悪い。
元々筆者はジェターク寮キャラ達を完全なサブ=主人公周りの必須イベント・気付きのお膳立てやサンプル、また対比等のための動きをするように配置される役割として見ていまして。その印象は回を追うごとに強くなり、もはや確信しています。
その見方から終盤のペトラの役割=スレッタに想い人への思いを吐露する事で彼女の思考を誘発する、は理解できるんです。しかしその相手をよりによってラウダにしなくても……。新キャラを出すのも色々煩雑になるのでしょうが。最初のポジションはグエルの取り巻きですから、その時点で彼氏持ちにするわけにもいかないし。
やっぱりこの面の役割を全て彼女らが担うのは無理があったんじゃないかなあ。